Mくん、北海道の局に内定。合格体験記。

「若林先生でしょうか。是非、体験授業に参加させていただきたいのですが」

社会人2年目の秋、私は仕事の休憩時間を利用して、若林健治アナウンススクールに直接電話で問い合わせました。学生時代もアナウンサーを目指し、放送局受験をしていましたが、結果は惨敗。一般企業に就職したものの、心のどこかで未練があり、「アナウンサー受験にもう一度挑戦したい」と思っていました。しかし大手アナウンススクールは、基本的に学生が対象で、社会人を受け入れてくれるところは殆どありません。講師1人に対して生徒数十名という体制も私はあまり好きでなく、「1対1」というスタイルに近い学校を探していた時、まさに希望通りのスクールが若林健治アナウンススクールだったのです。

若林先生の元で受けた29か月の訓練は多岐に渡りました。原稿読みやスポーツ実況練習がしたいと思っていても、実際そこにたどり着くには数か月かかりました。そもそも声の出し方、腹筋の使い方ができておらず、滑舌も甘かったのです。若林先生のお手本をボイスレコーダーに録音し、移動中はイヤホンでずっと聞き続け、家では反復して練習しました。徐々に挑戦するジャンルも増え、面接やES(エントリーシート)の概論、ナレーションやニュース読みなど、様々やりました。「音の立て直し」「間の取り方」「高低・強弱・緩急」など全てを叩き込んでいただきました。

桜が満開になると、近くの小学校でリポート練習をしたり、新宿御苑にも行きました。先生は正月を返上して、高校サッカーが行われる駒沢競技場に連れて行って下さり、そこでサッカー実況のレッスンもしてくださいました。「テレビゲームのようにのんびりと試合は動かないぞ!もっと集中するんだ!!」スクール内では、それなりに実況ができていても、いざ現地でやるとなるとこんなにも難しいのかと痛感しました。

若林先生は、本当に厳しかった。褒められたことがほとんどありません。自分の中でうまくいったと思っても、「~~の部分が半音下がっている。聞き手に全く伝わらない」「そんな抽象的な表現で本当に視聴者に伝わると思っているのか」と木端微塵にされました。もっと言うと、普段の会話から「何が言いたいんだ!」「お前の話はわかりにくい!」と矯正されました。内心イラッとしたこともありましたが、敵うわけがありません(笑)長年、放送の最前線で必死に戦ってこられたプロ中のプロです。すべてに説得力がありました。と同時に、常に若林先生は「本気の人」でした。ES添削を深夜にメールでお願いすると、翌朝には、赤字でビッシリと添削済みの返信が。地方の放送局の書類選考が通り面接が近くなると、多忙にも関わらず、近くのファミレスで面接練習もしてくださいました。

褒められたことがほとんどありませんでしたが、だからこそ、「今日の読みは安定感があったな」なんて言われると、本当に嬉しかった。そんなことは、この2年9か月の間で数えるほどでしたが(笑)でも一番、思い出に残っているのは、毎週授業前に若林先生と近くの定食屋で昼ごはんを食べて、食後のデザートにアイスを一緒に食べたこと。毎回ご馳走して頂きました…。仕事を辞め、夢を追い、貯金も底をついた私がいつも空腹だったこと、全て見抜いていらっしゃったのだと思います。

授業で教わったことももちろん貴重でしたが、それ以上にご飯を食べながら、夢を語ったり、先生の体験談を伺えたことが何よりの思い出です。日曜日が来ると、今でもまた「一丁目食堂」に行きたくなってしまいます。

この度、地元北海道の放送局から内定を頂き、9年ぶりに故郷へ帰りました。大学を卒業してから5年弱、遠回りをしたように周りからは思われがちですが、私はこの遠回りこそが、夢への近道だったのかもしれないなと、今思います。

すべて若林健治先生、そして山本勇先生のお陰です。改めて、感謝申し上げます。

「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ」

これは私が若林アナウンススクールの門を叩いた時、先生から言われた言葉です。自分が逃げなければ、夢は必ず叶います。私は今いる場所で、しっかりと結果を残し、アナウンサーという大願に向かってまた挑戦していこうと思います。

これを読んでくださった、そこのあなた。勝利の鉄則は「勝つまで、挑む」ことです!その挑戦を応援してくれるのが、若林アナウンススクールだと私は確信しています。